創業から半世紀を超えました。高知を拠点とした株式会社隆芸の軌跡のご紹介です。

企業情報 隆芸の軌跡

隆芸の半世紀を語らせていただきます

当社の歴史は波乱万丈の半世紀でした。日本が高度成長期となった昭和の中盤から平成、そして令和という3時代を経ているからかもしれません。
一時期は「本にしたいくらい」と思ったほどですが、今はこうして自社サイトで語ることができる便利な時代ですので、少し隆芸の歴史について綴っていこうと思います。

常務 澤田道野

創業に至るまで

創業者である澤田隆文は高知県土佐町出身です。東京でデザインを学び、高知に戻り就職先を探したのですが、当時高知には「デザインの仕事は無い」というような状況でした。
なんとか1件、それらしい会社を見つけることができました。看板屋です。理想とは程遠い仕事ではありましたが、「広告制作には違いない」と、入社をしました。
当時日本経済は上り調子でした。就職した看板屋は店舗や会社の看板はもちろん、土木建設工事の現場に設置する看板を製作したり、バスや電車の停留所にある広告などの広告看板を手掛けるなど、仕事は降って湧いてきていたそうです。

勤務して1ヶ月の時に、社長から「高知県北部の仕事を任せるから」という独立の話を持ち掛けられました。高知県北部は澤田自身、そして妻・道野(現・常務)の出身地であることもあって挑戦してみることにしました。これが1968年のことです。

1968年「隆芸」誕生

会社の名前は隆文の「隆」と芸術の「芸」を組み合わせた「隆芸」としました。「隆」は盛り上がる・育つなどの意味があり、縁起も良く、社名にはぴったりです。立派な名前を付けたのですが現実は大変でした。資本があるわけでもないので従業員を雇うわけにいきません。
また当時はプリンターなどというものはなく、看板はすべて職人が筆で文字を「描いて」いました。当然その作業も自分でしなければなりませんが、デザインはできても実際に大きな板に塗料でバランスよく文字を描くことは素人です。そのため上手く書けるまで何度も何度も練習しました。

夫婦二人三脚

営業、設計、製作、設置をたった一人でこなすことは大変です。でも従業員は雇えない…そうなると「妻」という存在は大変都合の良いものです。隆文は妻・道野の手を借りることにしました。しかし、道野は土佐町で唯一の「百貨店(食品から日用品、洋服までなんでも揃う店)」を営む家庭で育っており、外へ出て働いたこともない箱入り娘でした。それが一転、手はペンキまみれ、ショベルで穴を掘りポールを立てて看板を設置するという力仕事まですることになるなど、誰も想像がつきませんでした。
そんな夫婦二人三脚の小さな看板屋でしたが、ありがたいことに仕事には事欠きませんでした。そのため、長男を妊娠しても道野は出産直前まで仕事を休むことができませんでした。

高知市へ移転

しばらく土佐町で頑張っていましたが、会社を大きくしたいという思いが強くなり、高知市内に事務所を構えることを決意しました。1970年、昭和45年の時です。最初は高知市朝倉に事務所・工場を構えました。しかしその年の台風で浸水し、かなりの被害を負いました。
なんとか事業は続けることができ、1975年、今度は高知市大原町、高知市営球場の近くに住まいを兼ねた自社社屋を建設することにしました。しかし完成間近でまた台風の浸水に遭いました。
苦労の上に苦労を重ねる状況ではありましたが、その時は従業員も居ましたので、励まし合いながらなんとか前に進むことができました。

…が、同じ年に大事件が起こります。

隆文、狙撃される

会社の歴史を語る上で、苦労話は欠かせないものですが、「創業者が狙撃されてしまう」などという思い出話を語る会社はそうそうありません。

「何か事件に巻き込まれたのか?」
と、びっくりされたと思いますが、事故です。

隆文は猟が趣味で、親しい仲間と鳥を狩りに山へ出かけた際、知人が誤って撃った散弾銃が隆文の頭部に命中したのです。

その知らせを聞いた時、道野は頭が真っ白になりました。幼い子ども2人を抱えてどうすれば良いのだろう、会社は?従業員は?仕事は?と、いろんなことが頭を駆け巡りましたが、心配していても何も始まらない。とにかく命が助かることを信じて自分が頑張るしかないと「腹をくくる」のでした。
その決意が神様に届いたのか手術はなんとか成功し、一命を取り留めることができました。しかし、当時の医療技術では完全に弾を取り出すことができず、いくつかの弾が脳に残ったままでした。そのためMRI検査などはできません。

また、当時は麻酔や痛み止めなども今のような効き目はありませんでしたので、本人は相当辛かったと思います。手術して1日も経たないうちに「痛い、なんとかしてくれ!」と点滴を付けたままナースステーションに自分で歩いて怒鳴りこんでいました。元気になってうれしいやら、安静にしてないと脳になにか影響があるのではないかとハラハラするやらの入院生活がはじまりました。隆文の生命力の物凄さに感心してしまうエピソードです。

仕事は、常に「守りより攻め」

そんなたくましい夫婦の二人三脚での会社経営ですから、仕事も前へ前へと前進あるのみです。
時代とともに、地方にもデザイン性を求めるお客さまが増え、少しずつ当社の仕事を価値あるものだと思っていただけるようになりました。広告代理店を通じてのテレビ局のイベントの仕事を手掛けたり、東京や大阪などに本社のある会社の展示会の会場デザイン・設営の依頼を受けたりするようになりました。仕事をする中でさらに刺激を受け、「お客さまに喜んでいただけるために、もっと自分たちの仕事を進化させたい」と考えることを日課として今に至っています。

作業のデジタル化の波に乗る

時代が平成になったくらいの頃、今ではスマートフォンのブランドと言える「iphone」の会社「Apple」が開発したパソコン「Macintosh=Mac」でデザインをする「DTP(デスクトップパブリッシング)」を導入する会社が都会で少しずつ増えてきました。
その情報を当時、画材メーカーに就職をした長男・学から聞き、タイミングを見計らって導入をしました。(おそらく高知のサイン会社では1番)
しかも、学は「Mac」を販売する部署に所属していたため、明確な情報を知り得たことも功を奏し、時代の流れに上手く乗ることができました。

さらに、DTPを導入した約10年後。高知県のプロポーザル(提案内容で業者を決める仕事のこと)にて「30台のバスのボディ全体に短期間でペイントする」という内容の相談がありました。それまでの仕事の仕方では不可能な要求でしたが、ふと、メーカーから持ち掛けられた大きなプリンターの話を思い出しました。
「車の寸法を取り込み、パソコンでデザインした図案を特殊なフィルムに印刷し、車体に貼ることができるプリンターがある」
…これは、早速導入すべき!Macを導入した時と同じ波が起きている!と感じ取り思い切って導入し、見事プロポーザルも勝ち取りました。その仕事では初挑戦でしたのでフィルムの扱いに苦戦しましたが、仕上がったバスを眺めて「こんなバスが街中を走ったらワクワクする」と感激しました。同時に、高知県初のラッピングカーを手掛けることができた誇りを感じることができました。

その手ごたえは確かなものとなりました。それまで手描きで行っていた路面電車や路線バスの車体広告もフィルムを貼るタイプに移行していき、今では車体を飾る手法のスタンダードとなっています。
公共の乗り物だけでなく、幼稚園の送迎バスや会社のワゴンタイプの車、キッチンカー、また、建設機械のラッピングまで手掛けるようになりました。

看板屋から環境デザイン会社へ

業務を拡充するためには、設備の導入だけでなく人材の確保も大切です。人材についての転機もちょうど平成のはじめ頃でした。店舗・会社・施設の看板などは建物のほんの一部であり、デザインをする際には「建物との調和」を考えます。しかし、時には看板と建物のデザインが乖離された注文をされるクライアントさんもいらっしゃいます。看板として目立つかもしれませんが、果たしてそれはお客さまにとって本当にプラスになるのだろうか?と疑問がありました。
内装についても然り。「このデザインのボードには、床はフローリングが似合う」「このサインを照らすのにはペンダントライトよりシャンデリアが効果的だ」などと看板屋の領域を越えたことをついつい考えてしまいます。
それならいっそのこと内装・外装のデザイン設計も業務にできれば良いのに、とぼんやり考えていたところに、転機がやってきました。
平成に入ってすぐのこと、とある量販店の改装のサイン工事の施工現場にて、出会いがありました。この改装を一手に引き受けていた大阪の企業から施工管理者として長期出張に訪れていた社員さんの仕事ぶりを常務が見て「こんな人が社員として助けてくれたら」と思い、例の攻めの姿勢で話をしてみました。
何度か繰り返しお願いをするうちに、気持ちが通じて大阪から高知にIターンしてもらえることになりました。

二級建築士の資格を持っており、長らくくすぶっていた課題が解決しました。春の雪解けから小さな花が顔を出したような気持ちになりました。
それが、現・社長の拜地です。

拜地が加わることにより、サインだけでなく建物の内外装から手掛けることが可能になり、またサイン単発の仕事でも建物の構造についてしっかりした知識があることから企業の信頼度がさらに高まり、デザインの精度もアップするなど、小さな花どころではない、大輪の花をいくつも咲かせることができました。

お客さまからいただく「挑戦の機会」

お客さまは、理想を持って当社に相談をします。立地場所の条件、設置する建物の構造、予算や納期など、さまざまな制約を考慮して、私たちはお客さまの理想により近づける、また、理想を超える仕事をしていかなくてはならないと考えています。そのためにも、仕事を楽しむこと、新たな技術や素材など仕事に関する情報にアンテナを伸ばしておくことが大切です。努力は必ず仕事に反映され、自分自身の喜びとなります。また、私たちの仕事は決して一人ではできません。お客さまの要望を汲み取り、設計をし、デザインを起こし、形造り、施工する。月並みですがチームワークは欠かせません。

お客さまの理想は常に私たちに挑戦の機会を与えてくれます。仕事の大小を問わず、常にお客さまに成長させていただいています。

まだ見ぬ明日も

大阪から何の縁もない高知に来てくれた拜地が、しっかり扇の要となり会社をたばね、長男・学が仕事への探究心を持ち、お客さまに向き合う仕事を広げる。
その様子に安心した、破天荒な創業者・隆文も会長職となってからしばらく時が経ちました。
今までもそうでしたが、この先どんな未来が待ち受けているかは誰にも答えはわかりません。
未来を予測した上で備えることは大切ですが、振り返ってみると、ほとんどの出来事は予測し得なかったことのほうが多かったと思います。一番大切なことは「何事にも前向きに興味を持つ」こと。これからも仕事を通して、お客さまに感動を伝えていけるような企業でありたいと思っています。

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